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有生子のエッセイ

父の日

2021/6/21(月)
昨日は、父の命日でした。

2019年6月20日。
その日は前日に送った原稿のMA(番組の音入れ。ナレーション録り)があり、
東京へ帰るつもりでした。
朝、ホテルをチェックアウトして、
タクシーに乗り込み「名古屋駅まで」と告げてから、ふと、
やはり父の顔をもう一度見てから新幹線に乗ろうと思い直し、
行き先を変えました。

介護付きの老人ホームに着くと、
運転手さんに「すぐに戻りますから」と、座席に荷物を置いたまま玄関へ。
エレベーターの前で、ちょうど降りてきたスタッフの看護師さんに出くわしました。
「あら、さっきお父さんの部屋へ行きましたよ。お口のケアをして、さっぱりしたところ」
お礼もそこそこに、入れ替わるようにそのエレベーターに乗り込んで、
6階のボタンを押しながら、よかった、わたしは息をつきました。
父の容態に安堵したわけではなく、
エレベーターにすぐに乗れてよかった、と。
数分後、父の死に直面するとは、まったく、1ミリも、思っていませんでした。

父は数週間前から食べ物を受け付けなくなっていて、
医師からは、いつ亡くなってもおかしくない、と言われていました。
だから名古屋に詰めていて、ホテルで原稿を書きながら、
父の部屋を行ったり来たりしていたのですが、
そのときが来るのはもう少し先だと、なぜかわたしは信じ込んでいました。
なんの根拠も理由もなく、「もう少し」も「先」も、自分の都合で、
父の死を推し量っていたのです。

だから無防備にドアを開けました。
「お父さーん、おはよう!」と、元気よく。

あの瞬間、
ぼんやりと目が半開きになったまま、すでに息絶えていた父の、
圧倒的に寂しい横顔を、わたしは忘れることができません。

「そのまま名古屋駅に向かわなくてよかった」
「ムシの知らせだね」
「まだ温かかったから、ほんとうに少し前だったのよ」
施設の方々や親類たちに何度も慰められましたが、
ひとりきりで逝かせてしまった後悔は、今もぬぐえません。
前日、ホテルに戻らずに部屋に泊まればよかった、
付き添って、その瞬間を見守ってあげたかった―――

あれから二年。
偶然父の日と重なった昨日は、中学時代の親友が「お父さんに」と、
コメダの珈琲セット(カップ&ソーサ―とドリップ珈琲のセット)を送ってくれていたので、
頂いたカップに珈琲を淹れて、お供えしました。

毎朝この店のモーニングを楽しむことが日課だった、父。
「ありがとありがと、サンキュー」
嬉しいときはいつも、ありがとうを二回続けて、
最後に「サンキュー」と付け足します。
そんな口癖が、聴こえたような気がして、嬉しくて、少し泣きました。

こうして、笑顔のお父さんが心に残っていくのかな。
あの横顔に、上書きされていくのかな。

Sちゃん、ありがとう。


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